「クルマは凶器」
「このクルマ、ブレーキが効きませんけど乗りますか?」そういわれてまでブレーキの効かないクルマに乗る人は恐らくいないでしょう。ブレーキの効かないクルマなんて人殺しの凶器そのもの。前の文章を読んでもクルマの事を自動車と判断する人がほとんどだと思います。でも考えてみて下さい、自転車もクルマのひとつです。競技用自転車で公道を走っているあなた、ブレーキの効かない凶器に乗っていて「安全だ」と言い切れますか? (専門学校3年)
「発電の世代交代−−そのために今、できることは――」
現代の社会において電力は不可欠な存在となっている。震災時の事故により脱原発の声が高まる中、これからの発電はどうなっていくのだろうか。現在、主力である原子・火力発電は資源枯渇という大きな問題を抱えている。その2つに代わる方法が確立するまでには多くの時間が必要だ。私は今の自分達にできることはやはり節電なのだと思う。限りある資源と向き合ったとき、節電の意義は一時の電力不足の為だけには留まらない筈だ。 (高校3年)
「日本のスポーツビジネス」
今年の7月に行われた女子ワールドカップドイツ大会で我が日本代表、通称なでしこジャパンが世界一に輝いた。過去には野球の世界的大会WBCで、日本代表が優勝するなど日本も世界でトップクラスの球技大国と言っても良いと思う。しかし、女子サッカーの各クラブチームが経営難においこまれるなど、成績とクラブのチーム状況が比例していないと思う。お金の問題で、スポーツがすい退するのだけはさけてほしい。 (高校3年)
「便利さの追及」
様々なアプリがあり便利なスマートフォン。しかし便利さばかり普及していいのか? 便利であることも仕事や生活をする上でとても大切なことだが、すべてそうなのるが良いことだとは思えない。不便だからこそ、工夫をするし、機械では出来ない仕事というものもあると思う。便利さばかりを追及していると、人にしか出来ないことや考える力が無くなってしまうのではないか、と思ってしまう。 (高校2年)
「脱ゆとり教育」
小学校5年生から英語教育をすれば英語ができるようになるわけではないと思う。そもそも、英語の勉強方法が変わらないかぎり、学ぶ時期を早めても何も変化がないのではないだろうか。ただ黙々と先生の話しを聞いて書く。そして、少し先生と一緒に発音練習をする。これだけでは英語は身につきにくいと思う。はやり、英語は会話するための言葉なので、たくさん会話や英語を使いコミュニケーションをとる授業の方がいいと思う。 (高校3年)
「食中毒がもたらした『もの』」
実家が焼肉店(非チェーン店)を営んでおり、このニュースは様々な影響をもたらしました。まず、最も大きな影響として現れたのが客足の遠のきでした。東日本大震災発生でお客さんが減っていたのに、この事件でさらに実家は不況となりました。もう1つは、肉の加熱やまな板の除菌などを父や母は熱心に取り組むようになりました。良くも悪くも影響をおよぼされた私たちとしては、以後こんな事件がないよう願うばかりです。 (高校2年)
「建築が出来る、これからのエネルギー開発」
私は大学で建築を勉強している。先の震災で露呈した、原発の不完全さを建築の立場から俯瞰すると、原発の安全性に意義を唱えるよりも、東電の管理の脆弱さに苦言を呈したい。地震がトリガーとなって起きた爆発が施設を吹き飛ばす映像を見て衝撃を受けた。再生可能エネルギーを考える契機となったが、急に原子力を捨てるのは早計である。先ず施設の建築的要素を調べて欲しい。そこから獲得し、将来形になるものがあるはずだから (大学1年)
「ニューヨークから日本へ」
ニューヨークのウォール街より始まった今回の反格差デモ。高所得者はより裕福に。低所得者はより貧しくなるこの社会のシステムを、根っこからぶち壊すための運動だ。残念ながら、どれだけの効果が得られるかは未知数である。しかし、泥臭く足掻くデモ隊の姿に、我々日本人が学ぶものも多くある。報道から度々垣間見える、彼らが内に秘めた炎。今の日本に足りないものではないだろうか。 (大学3年)
「交通ルールを見直そう」
自転車は車の種類に含まれる。しかし、そんな中、交通ルールは全くと言って良い程守られていない。最近ではブレーキを付けずに走行する自転車が多くいる。そのため自転車による事故が増加していることに対し、私は自分から命を捨てたいのかと感じる。自転車にブレーキをつけないで走行すれば、止まりたい時に止まれない。自転車も乗り方を間違えれば凶器にも変わる。自転車を凶器に変えない為にも交通ルールを見直すのが正しい。 (高校3年)
「脱ゆとり教育」
「ゆとり教育」という言葉は、あまり響きの良いものに聞こえません。ゆとりのある教育で、子どもがどこまで成長できるのか。もう少し厳しいくらいで丁度いいのではないでしょうか? 国際化が進む中、英語は覚えていて損をしないどころか、将来的にも役立つものに感じます。小学5年生の英語必修化は、私からしたらうらやましくもあります。私もその年ごろから英語に接していたら、今よりももっと未来が、ひらけたかもしれませんね。 (高校3年)
「東日本大震災から学ぶメディア・リテラシーの必要性」
我々はもはやマス・メディアに踊らされる人形である。東日本大震災の際、我々は情報の洪水に惑わされ、近所ではガソリンやトイレットペーパーなどが売り切れた。又、水源を知らないために水道水の放射能汚染を気にかけ、わざわざ水を汲みに行く人の姿は実に滑稽であった。この事態は、現代人の知識不足と自己判断能力の欠如を示していると言えるだろう。高度情報社会におけるメディア・リテラシーの必要性を改めて実感した。 (高校3年)
「ゆとり世代の主張」
ゆとり教育が導入された当時、私は小学生だった。いわゆる私はゆとり世代だ。隔週であった土曜の登校はなくなり、毎週土日は休みになった。当時の私は休みが増えてラッキーくらいにしか思っていなかった。中学生になった頃、いつの間にかゆとり世代はメディアでおもしろおかしく取り上げられていた。そしていつしかこんな声が聞こえてきた。「これだからゆとりは。」私たちゆとり世代は、実験に使われるモルモットの様な物だったのか。 (高校3年)
「東日本大震災発生」
3月11日。その日は忘れられない日になった。何万人もの人が命を落とした。私は、初めて、「津波」による被害を目の当たりにし、自然の恐ろしさを知った。家を失い、家族を失い、友人を失い、さらに思い出まで流され全て失ってしまった人もいただろう。そんな中、皆で協力し合い、一歩一歩前に進んでいる姿が今でも頭から消えることはない。人は一人では生きてゆけない、みんなで協力し、前進していくことの大切さを改めて知った。 (高校3年)
「東日本大震災発生」
3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災により、巨大な津波が起こり、多数の人命が奪われた。被害の大きかった岩手、宮城、福島の為に、全国、世界中の人々が「助けたい」という1つの思いで、ボランティアに参加したり、支援をした。この時改めて人間の素晴らしさを実感し、私自身も被災地の復興の為に協力したいと思い、ボランティアに参加した。このように世界中がお互いに支援しあうことがこれからも大切だと思う。 (高校3年)
「節電はエンドレスで」
原発事故の影響で今年の夏は、テレビを見ても新聞を見ても節電の事ばかり書かれていた。ただ内容を見ると「節電の工夫の仕方」等ポジティブで見ていて楽しく勉強になるものであった。「電力不足だから」というよりも「みんなでがんばる節電月間」のような感じがした。町で電気が消灯しているのを見ると、節電が終わってもこのままでいいと思うものも沢山ある。これを機会に電気のムダ使いを見直した方がいいと思う。 (高校3年)
「野田首相、TPP反対を押しきり見切り発車」
最近各方面で話題に挙がっているTPPだが、私は反対意見を押し切ってまで参加するべきではないと思う。国民の半数近くが反対の声をあげている現状での参加はあまりにも危険だからである。野田首相はどっちつかずの曖昧な答弁で主張参加国はおろか日本国民にさえなぜ参加したいのか、参加した後どうしたいのか全く伝わっていないのである。国民の意見がまとまった後決断するべきである。今の政治は独断政治と何も変わらない。 (高校2年)
「自転車に対する意識について」
自転車事故は、私たち高校生にとって最も身近な車両事故だ。ピストバイクの報道が続いているが、自分には関係がないと思っている人は多いのではないかと思う。実際、自転車は車道を走るのが原則だが、身の周りでそれを守れている人は少ない。さらに、人の歩いている歩道で加速しようとする。それは、ブレーキの有無に関わらずとても危険なことだ。改めて、自転車は車両の一部だと意識して、この報道を他人事だと思わないで欲しい。 (高校2年)
「脱ゆとり教育」
私は「ゆとり教育」の真っただ中で生きてきた。土曜日が休みとなり教科書のページ数も削減された。しかし今また「脱ゆとり教育」によって、様々な改変が行われた。これは私たちにとって非常に衝撃的なことだった。将来社会に出て「ゆとり」という甘えた環境にいた私達が知識を豊富に備えた人々と戦わなければならないのだ。今私達がすべき事はそんな人々に打ち勝つ為に甘えを捨て様々な事を学び私達自身も「脱ゆとり」を図ることだ。 (高校2年)
「正しい認識と温かい行動を」
今年の3月、東日本大震災が原因となり福島第一原発で原発事故が起こった。そのため原発周辺に住む人々の多くが遠く離れた土地へ一時的に避難したようだ。しかしその避難先で、原発のことで差別を受けた人もいたという。ある幼い兄弟は「放射能が移るぞ!」と仲間外れにされたという。そういった間違った知識で困っている人をさらに傷つけるのは悲しいことだ。私は正しい認識をもち困っている人に対して温かい行動をとりたい。 (高校2年)
「そして。私達は今、」
3月11日、私達の高校は初めての卒業式だった。「旅立ちの日に」をうたっている最中、かすかな揺れは急に大きくなり、私は本気で命の危険を感じた。卒業式を終えて駅に着いた私達は、携帯が繋がらない中電車の運行再開を待った。帰宅後TVをつければ、どの局もニュースだらけ。増える死傷者数、続く余震。その日の夜は眠れなかった。未だに傷跡が残る被災地。半年以上の月日がたった今日でも、国、私達の課題は無くなっていない。 (高校3年)
「真実を見極めるには、」
3月11日の震災で未だに大きな問題として続いているのが、この原発問題である。津波でこのような事態を招いてしまった防災能力にも問題があると思うが、事故発生後の東電の対応には憤りを感じた。何が真実かわからないのである。情報が無ければ対策もできず、私たちは何かしらの影響を受けてしまう。今大事なことは、目先の情報に躍らされず物事の本質を見ようとする姿勢だと思う。 (専門学校3年)
「薬と毒と皿」
原発事故と聞き、「薬も過ぎれば毒となる」という言葉を思い出した。どんなにためになるよいものでも、度を越せば害になるという例えだが、それは原発事故だけでなく今日の環境問題にも通じる。利便性を追及した現代社会は今までにない快適さを生んだが、その裏には多くの犠牲があった。これでは、不便でも活気のあった昔の方がいいという人も多いだろう。未来のために、今を生きる私達は「毒を食らわば皿まで」頑張らねばならない。 (高校2年)
「食の安全と衛生管理」
今年、集団食中毒で4名の死亡者が出た。原因となったのは生肉でO111とO157が原因とされる。お客に対して食物という商品を提供しているのに食中毒を引き起こし、死者を出してしまったとなれば、店側の衛生管理がずさんだったとしかいいようがない、しかし加熱調理されていない生肉をなんの疑いもなく食べる客も意識が薄いと言わざるを得ない。今後私たち人間は食の安全のため食物とどう向き合うかが大事だと私は思う。 (高校3年)
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